2012年9月26日水曜日

カネも欲しいが「ゆとり」と「いきがい」も欲しい?


日本のテレビ番組では、長い人気を保ちつづけた「サザエさん」につづいて、「チビマルコちゃん」が}躍脚光をあびました。これらのマンガは平凡でありふれた家庭の日常生活を描いているように見えて、実際にはなかなか実現しない「健全な」というか、「わりとモノをつきはなしてみられる」というか、微妙な雰囲気を醸し出し、いかにも日本風のリズムにのって子供と大人のつくりだす地域社会を描きだしています。

日本人にとって、所得水準からいうと中以下で、まだまだ、努力しないと安定とは言えない状況にありながら、妻や子供たちの知恵と工夫と庶民的なイバラナイ素朴さで、毎日毎日のできごとを「かけがえのない」機会として楽しみ、苦しみ、受容し、学習する生活は、ことによると「みはてぬ夢」であるのかも知れません。

これらのマンガが描き出してきた世界は、まことに「カネカネ社会」への風刺ともとれますし、日常の生活のなかにこそ、文化といきがいがあることを教えてくれるような筋立てでした。株や土地のバブル経済とともに日本にやってきた現金重視の風潮は従来の控え目な日本人の生活態度を根底から変えてしまい、「肩で風を切る」「人を跳ね飛ばして進む」「差をつけて叩き落とす」などの生活態度を学校や職場や地域に、はびこらせてきました。

子供たちの世界にも、このことが入りこんでおります。しかし、冷静に構えてみますと、一方では「いくら差をつけようとしたって、しぶとく生きてやるよ」という気持や、他方では、「人に差をつけてみたところで生残れて安全に暮せる機会に恵まれるかどうかは五分五分の確率ではないのか」という思いが頭をもたげてきます。この「つきぬけた」発想は、日本人の間には意外と根強いのではないでしょうか。

このような気持がでてくると、実際の生活では金銭の価値を最も重んじている人でさえ「突っ張って生きる人間には限界がある」「いまの生活をゆたかにしたい」「家族とのコミュニケーションをいきがいにしたい」という感情が強まる傾向があります。この傾向が意味するところを考えてみますと、人々は現実には現金の威力に支配されながらも金銭的な価値の追求を最上の目的と考えないで生活文化の価値を第一に考えてゆこうとする根強い生活態度が日本人の間に生れつつあることを示しているようです。