2013年11月7日木曜日

公式的なRSSの見解

彼はいろんな人に尋ねながらRSSの事務所を探してくれた。あともうすぐで事務所に着くという所でリキシャーは急に止まった。「ここからは歩いて行ってくれ」リキシャーの運転手はこの場所を早く立ち去りたいのか、かなりのスピードで瞬く間に消えていった。その後ろ姿を見なから、この町の一見のどかな風景の中に潜む緊張感を感じ取った。そのRSSの事務所は、アヨーディヤーの中心地からは少し離れた場所にあった。私は自分の心臓か激しく鼓動しているのを感じながら門をくぐった。中は広大な敷地か広かっており、そこにいくつかの建物か立っていた。そのうちの一つの建物に人影か見えた。私は声をかけてみた。

「ここはRSSの事務所ですか?」「そうだ」彼はいぶかしげに答えた。「私は日本でヒンドゥー・ナショナリズムのことを研究している学生です。RSSの方々から話をお聞きしたくてやって参りました。どなたかお話をしてくださる方はいらっしゃいませんか?」私がそう言うと、彼は「中へ入って来い」と手招きをした。中に入るとそこには数名の老人がいた。にこやかで温厚な人たちだった。彼らは皆RSSのメンバーだという。そこで、私は事前に用意していた質問事項を次々と聞いていった。彼らは懇切丁寧に答えてくれた。しかし、いかにもイデオローグの語りという感じで、公式的なRSSの見解を語るだけだった。そうこうするうちに、建物の前の広場に若者か集まり始めた。手にはみんな竹の棒を持っていた。

「あっ、これが例のシャーカーか!」武者震いするのを感じた。RSSは毎日、朝と夕方にシャーカーというトレーニングを行なう。整列・行進にはじまり、武術キョーガ、インドの伝統スポーツ、訓話、討論などを行ない、RSSの活動の最も重要なものとされる。私はこのシャーカーをどうしても見たかった。そして、そこに参加する若者だもの聞き取り調査をしたかった。しかし、恐かった。「何をしに来た!」「出て行け!」そう言って追い払われるのではないだろうか? 暴力的な若者たちに痛い目にあわされるのではないだろうか? 私は老人だちとの話を切り上げ、意を決してその若者たちに近づいていった。手は汗でぐっしょり濡れていた。少し距離を置いた場所で、はじめから最後までシャーカーを見た。一生懸命メモをとっている私を彼らは横目でちらちらと気にしながら、トレーユングに励んでいた。

シャーカーが一通り終わるや否や、彼らが私のもとに駆け寄ってきた。心臓の鼓動が高まった。私はとりあえず自己紹介をした。彼らは意外にも目を輝かせながら私の話を聞き、にこやかな笑顔を向けてきた。彼らに話を聞きたい旨を伝えると、今から夕食だからいっしょに食べようと誘ってくれた。夕食の場所に向かう最中、彼らは私を質問攻めにした。「いつインドに来たのか?」「何人兄弟か?」「両親は健在か?」。私との会話をいかにも嬉しそうに楽しんでいる。彼らにとって外国人はよほど珍しい存在なのであろう。しかも、その外国人の私がヒンディー語を話すのか珍しくて仕方ないらしい。皆、満面の笑顔で私に接してくれる。これまでに出会ったことのないような純朴な人たちである。私に対する警戒心は微塵もない。

彼らは、事前に持っていた「粗暴な暴力集団」というイメージからはかけ離れた若者たちであった。この若者たちをどう捉えればいいのか、私は混乱した。彼らに誘われるまま、食事の場所へ到着した。食事の最中、私は正直にRSSの末端活動の調査をしに来た旨を話した。そして、数日間、私の調査に協力してほしいと頼んだ。彼らは即座に答えた。「もちろん大歓迎だよ」その場にいたアヨーディヤーのRSSの代表者も笑顔でうなずいていた。そんなことを正直に話してしまえば追い出されるのではないか? 強く警戒されて態度か豹変するのではないだろうか? そう思って覚悟していた私は拍子抜けした。それと共に緊張感か解けていくのを感じた。私も徐々に笑顔になっていった。翌日から彼らと一緒に生活することになった。