2013年12月25日水曜日

大学閉鎖・合併問題の専門家

他大学との合併(merger)は、単独の機関では経営が困難になった場合に、他の私立大学の一部に併合されることである。ほとんどの大学は、同じ州や地域内の私学と合併している。四年制大学の合併の典型的なパターンは、同程度の規模をもつ同宗派の私立大学と合併して、一つの総合大学な・いしはカレッジになるといり方式であり、短期大学の場合は、より大規模な四年制で同宗派の私立大学に合併吸収されることが多い。

私学との合併の場合でも、宗派系大学が全体の三分の二を占め、合併大学の六割は学生数五〇〇人以下の大学であり、五分の四が共学の大学であった。私立大学が経営能力を失った場合、廃校とはせずに、その州や地域社会に移管されて、公立大学として生き残る場合がある。過去一〇年間には一九校の私学が公立に移管された。これらの私学はほとんどが州のコミニティーカレッジ群または州立大学群の制度の中に吸収されている。移管された私学の半分以上は学生数五〇〇人以下のミニ大学で、すべてが共学校であった。一九八〇年代にはどのような傾向がみられるであろうか。NIICUが一九八四年に出した報告書によれば、一九八〇年から八二年の三年間で、私学の新設校数は一六校、閉校数は二六校、私学との合併は五校、公立への移管は一校であった。これまた閉校数は新設校を上回っている。

以上、一九七〇年から一九八二年の一二年間を合わせると、一三五校の私立高等教育機関が新設され、一七三校のそれが閉鎖された。さらに五三校の私学が他の私学と合併され、二〇校の私学が公立に移管となった。これら閉校、合併、公立移管などなんらかの形で消えていった私学を合わせると、この期間で実に二四六校にも達する。つまり一九七〇年代では、新設校数にほぼ倍する数の私学が、なんらかの形でサバイバルできなかったわけである。

NIICUのレポートは、こうした大学がどんな理由で廃校や合併に追い込まれたかは分析していない。しかしこれまでの数字でみるところでは、消えていった私学の多くは、二年制の短大と四年制のリベラルアーツーカレッジ(教養大学)で、学生数の規模の小さい(多くは五〇〇人以下)、宗派系(カトリック系が多い)の私学である。要するに、歴史も新しく、十分に根を下していない弱小大学が、学生募集難や経営難に直面してつぶれていく、というケースが圧倒的のようである。

一九八〇年代に入ってからの状況については、大学閉鎖・合併問題の専門家であるジョセフーオエール博士が、著者に最新の調査データを提供してくれた。これによると、一九七六年から一九八六年までの一〇年間を対象に、連邦政府の全米高等教育機関の名簿を照合した結果、閉鎖が六二校、合併が四五校、さらに政府の認定資格を失ってリストからはずされているものが六一校であった。