2015年12月15日火曜日

どのように法律を当てはめるのか

現実には、ほんのわずかな金銭トラブルで、相手に「オレはいやだよ」「知らないよ」と言われたら、もう手も足も出ません。しかも、ただ「オレはいやだよ」「知らないよ」というだけではありません。実際には、そこにいろいろと理由がつくのです。

『バラェティー生活笑百科』の弁護士さんの回答も、あの限られた時間の解説としては全く正しいのでしょうが、実際のトラブルで相手が面倒な理屈をこねだしたら、弁護士さんの回答通りに話が進むことにはなりません。

まず、「実際に何か起きたのか」ということが分かりにくいのです。訴訟を起こされると、「金に糸目はつけない」で争う人や会社もあります。そうした人たちに相当に細かい点から争われますと、事実関係が分からなくなったり、あやふやになったりしてきます。そのあやふやな事実を前提に、いろいろなことが考えられます。

勢い、それに当てはめる法律もいろいろと考えられます。数学の順列組み合わせのように、何通りかの可能性が出てきます。そうなると、とても複雑になります。だから、「法律は複雑だ」と言われます。それが法律の現実なのです。

金額が大きくなって、例えば百万円とか一千万円レベルになれば小さな問題ではなくなります。そうなると「何とかしなければいけない」という気持ちになりますから、多少はがんばるでしょう。そこで法律書を読むと、「民法や商法によればこうである」と書いてあります。

大学の法学部でも大体そういうことを教えています。「百万円貸した」なら「百万円返してもらう」のは当たり前のことです。そういう法律関係はいいのです。しかし現実には、その貸した百万円を回収するための「手続」の方が問題なのです。

2015年11月16日月曜日

国際金融システムを防衛する

巨額の変動金利でのドル建債務が累増しているなかで、未曾有の高金利を要求されるとすれば、市場金利に従って利払いを実行するのが困難になると同時に、元本返済も計画通りに進めるのが不可能となるのは当然な結果であった。中南米諸国にしてみれば、オイルーダラーのリサイクリングという美名の下に巨額のドル建債務を押しつけられ、はては米国の自国都合によって引き上げられた超高金利を要求されては、いつまでも黙って元金と金利を支払い続けるわけにはいかなくなる。

八二年八月に従順に思えたメキシコが、まず最初にデフォルト宣言寸前にまで悪化したことから、国際金融市場はパニック的状況に陥った。とりわけ、米国の銀行界に与えた衝撃はすさまじいものであった。仮にメキシコがデフォルト宣言に出たならば、この動きが他の中南米諸国に波及する可能性が小さくなく、国際金融危機が現実化するリスクが出てくるからである。

メキシコの国際収支を点検すると、金融危機に転落したのも無理がないように思われる。たとえば八一年をみると、輸出が拡大努力もありニニ億ドルに増加する一方、輸入は利払いのため国内経済の緊縮策を反映して前年比で四~五割もの減を示した。しかし、利払いだけで約二〇〇億ドルもが必要とされるなかでぱ、経常収支は約六〇億ドルの赤字を計上せざるをえなかった。仮に八〇年代に入ってからの米国の超高金利がなければ、メキシコの利払い負担は七〇億ドル程度であったと推測される。この条件下であれば、メキシコは利払いのために厳しい緊縮策を取るどころか、まったく逆の拡張政策をすらとりえたのであった。

米国の銀行システムを救済するとともに国際金融システムを防衛するには、米国としては金融面からの緊急措置を発動するほかはなかった。実際、FRBは間髪を入れずに行動し、IMF(国際通貨基金)等を通じてメキシコへの緊急融資を決めるとともに、緊急緩和策を通じて、政策金利であるFFレートを八二年夏場の一五%から、一ー月には九%へと大きく引き下げた。わずか五ヵ月でのこれだけのスケールの利下げは空前であり、この過程で金融市場へのドル流動性の供給は相当の規模となった。こうしてメキシコの金融危機は基軸通貨国である米国において大幅な金融緩和を惹起させた。そして、これが八〇年代における同時的資産インフレ発生の開始宣言となったのである。

2015年10月15日木曜日

内部情報の取り扱いとコンプライアンス

日本でも昨年、楽天、ライブドア、ソフトバンクなどの企業によるプロ野球球団ビジネスへの参入の動きが話題になりましたが、これらの企業も買収を重ねることにより、かなりのスピード感で企業価値を増加させてきています。一九九七年に設立されたばかりの楽天の時価総額は今や約一兆円です。検索サイトのインフォシーク社(二〇〇〇年に買収)をはじめ、「旅の窓口」二〇〇三年)、ネット証券のDLJダイレクト(二〇〇三年)、あおぞらカード(二〇〇四年)など、数々のM&Aを行なってきました。

ライブドアの時価総額は二〇〇〇億円、ソフトバンクは一兆五OOO億円です。一方で、たとえばプロ野球参入を審査した阪神電気鉄道の時価総額は一四〇〇億円です。株式市場は、審査する側にいた阪神よりもライブドアのほうを高く評価していたのです。もっともプロ野球への参入を審査する側には西武鉄道もいました。西武は有価証券報告書に虚偽の記載をし、二〇〇四年十一月十六日に上場廃止が決まりました。1ヵ月前には一一〇〇円を超えていた株価は、当日は一八八円まで下落。二〇○五年三月には堤義明西武鉄道グループ前会長が逮捕されました。株式市場を裏切った企業とその経営設任者の末路でした。

長い間M&Aのアドバイザーをしていて改めて私か実感しますのは、日本企業が内部情報の取り扱いやコンプライアンス (法令遵守)に関して、あまりに無神経かつ無防備だということです。二〇〇一二年十月に始まったカネボウによるM&Aを使った事業再生を求めての『迷走』がよい例でしょう。M&Aの動きが逐一マスコミに流れてしまっだのでは、ティール(案件)がまとまるはずなどありません。付き合わされた花王には気の毒というばかありませんが、案の定カネボウの労働組合が反対したとかの理由でM&Aの話は流れてしまいました。

カネボウはその後産業再生機構の手に委ねられ、調査の過程で約二〇〇億円の粉飾決算が発覚しました。会社の新しい経営陣は、元社長、副社長などを東京地検特捜部に告発する方針とのことです。それにしても、そもそも蕉上との化粧品事業統合のドタバタ劇はいったい何だったのかと疑問に思わずにいられません。

M&Aを行なう際に最も注意を払わなくてはならないのは、内部情報の取り扱いです。M&Aというのは証取法上の重要情報であることが多く、これが事前に漏れてしまってはインサイダー取引の恐れにつながってしまいます。したがって会社の中でM&Aが進行していることを知っている人(インサイダーと、そうでない人(アウトサイダ上とを厳しく峻別する必要があります。交渉や取引を円滑に進めるためには、インサイダーは数人に絞る必要があります。

2015年9月15日火曜日

ウォール街の象徴的存在

我が国の金融機関の今後の姿を考えるとき、とくに言及すべき特徴がさらに二つほどあろうかと思われる。一つは、こうした再編の動きのなかで、グローバループレーヤーを目指す金融機関が、必ずといってよいほど投資銀行業務を強化しようとしている点である。

投資銀行は、ウォール街の象徴的存在である。すでに述べたように投資銀行とは、モルガンースタンレー、ゴールドマンーサックス、メリルリンチ、ソロモンなど、証券の引受・売買仲介・自己売買、企業の買収・合併などを、主として大手法人相手に行っている大手の証券会社(これらはバルジーブラケッ卜と呼ばれ、他の証券会社と別格扱いされている)の通称である。GS法が存在するために、米国内では商業銀行業務は行えない。

これまで金融革新の推進力となってきたその強烈なカルチャーは、荒々しい市場原理主義そのものである。この高収益、ハイリスクの業務で、欧米勢に渡り合えるようになるかどうかが、我が国の大手金融機関をめぐる再編の行方を左右する大きな要因になるのではないかという見方がある。そして、この問題は、じつは本書の冒頭にふれた、日本の金融改革をめぐる根本的な考え方にも通じるので、後であらためて考えてみたい。

第二の特徴は、改めて指摘するまでもないことだろうが、現段階では、世界的な大型再編の波のなかに、主役としての日本の金融機関の姿は見あたらない。ジャパンーマネー華やかなりし頃、大手邦銀は、米国の商業銀行や財務省証券プライマリー・ディーラーなどを次々と買収したこともあった。それが九〇年代の半ば以降は、国際業務の戦線縮小の一環として、それらを手放しながら生き残りのための再編を模索するのが精一杯である。専門家が予測する二十一世紀のグローバルな金融機関のリストの中には、残念ながら本邦の金融機関の名前は見出せない。

たとえば米国最古のプライベートーバンク、ブラウン・ブラザーズーハリマンがあげたリス卜をベースに、その後の動きを勘案して修正し、二十一世紀の「特権グループ」をあげると次のようになろう。米国系は、ゴールドマンーサックス、リーマンーブラザーズ、メリルリンチ、JPモルガン、モルガンースタンレー・ディーンウイッター、シティーグループ、欧州系ではABNアムロ、ドイツ銀行、HSBC、クレディースイス、UBSとなる。

2015年8月20日木曜日

日本経済のバブルの影響

春闘の準備と交渉をつうじて労使が経済環境をひろく深く検討し、包括的な配慮をふまえた賃金決定を行い、それが世間相場となって経済全般の賃金と価格改定に影響を及ぼすという春闘賃上げのしくみは、いってみれば合理的な市場の解を主体的に探りあてるプロセスである。したがって春闘を活用することによって、日本経済は強制的な所得政策を導入することなく、市場の条件と整合的な賃金決定を実現する事ができたのである。

いまひとつは、勤労者の所得を全体として底上げするうえで、大きな役割を果したことである。前述したように、高度経済成長時代には、世間相場の影響の強まりをつうじて賃上げ額の分散が小さくなった。つまり、多くの企業の賃上げ額が平準化する傾向が強まったわけだが、このことは当然、賃金格差が全体として縮小してゆくことを意味する。高賃金の企業や産業にくらべて、これまで比較的低賃金であった企業や産業あるいは労働者の賃金がより急速に上昇するという事である。

このプロセスをつうじて、日本の勤労者の所得格差は減少し、より多くの人々が中流の豊かさを手にできるようになった。それは人々の勤労意欲と消費を刺激し、日本経済の発展を支える力強い要因となったのである。このようにして、春闘による賃上げのしくみは高度経済成長の時代に日本全体にひろまり、日本の賃金決定制度の重要な柱として機能したのである。

高度経済成長という背景の下では、春闘方式による賃金の決定は、インフレ回避にも役立ち、人々の全体としての所得の向上に大きく貢献しただけでなく、経済環境や経営状況についての労使の情報共有や学習効果を高めるうえでも大きな効果があった。以上のように、日本の産業社会に特徴的とされる雇用や賃金の制度は、第二次大戦後の高度経済成長時代にすぐれた合理性を発揮することによって普及し、定着したのである。

日本の企業は急速な経済成長の中で発展し、その強みを発揮してきた。企業のしくみも経済の構造もこうした成長を前提として組み立てられ、円滑に機能してきた。そうした日本の企業や経済の特徴をある意味で際立たせたのが一九八〇年代の後半から一九九〇年代初頭にかけて膨れ上った日本経済のバブルの影響であろう。

2015年7月16日木曜日

多国籍銀行の破綻

私はその後七七年末に、東銀が出資したロンドン所在の多国籍銀行が破綻に瀕したので、再建屋の一人としてロンドンに赴任した。悪戦苦闘して八二年に帰国すると、時代は変わっていた。いくらでも借り手のある慢性的な資金不足の高度成長時代から、とにかく借り手を探すことが最重要課題という資金過剰の時代へと変わっていた。

その頃になると、多くの銀行は、リレーションシップーマネジメントの考え方を導入し、営業推進をする幹部行員が与信判断もやることで意思決定の迅速化を図り、競争に勝ち抜こうという体制を取り始めていた。より多く貸付ける。これが競争に勝ち抜くための主要な戦略となっていた。

帰国した私か営業推進の戦略を担う営業企画部の副部長になった頃は、東銀でも審査部の地位は大きく低下していた。先で見た米国での優良企業の銀行離れが、我が国でも着実に進行し、大手企業との取引採算が、確実に低下しつつあった。
 
たとえば、東証一部上場二百二十五社の長期資金中の借入金の比率は、八一年には一三%であったものが九〇年には四%程度に落ち込むというありさまであった。そこで大手銀行は七〇年代末から八〇年代にかけて、中小企業や個人向け融資を重視するようになってきた。しかも、リスクの大きな融資先なのに、融資審査機能を格下げし、業務拡大重視の機構改革を行ったのだった。

これは、多少のリスクには目をつぶって、融資基盤を拡大しようとする姿勢の反映であり、与信審査や信用リスク管理の精緻化に裏付けられた動きではない。事業の成長性、それが生み出すキャッシュフローの予測などよりは、土地をもっているか、メインバンクはいざというときに頼りになりそうか、といった項目のほうが重要視された。

2015年6月15日月曜日

基本的人権と地方自治の危機

繰り返しになりますけれども、我が国に対する計画的、組織的な攻撃だというように認定されるかどうかというところが問題だと思います。そうすると、認定されるような状況があれば、この法律が動く、適用になる、そう聞いていいんですね。理屈でいえばそういうことになります。ここでも「我が国」の範囲が海外でもありうると答弁されている。自衛艦や民間船舶も「我が国」の延長とみなされる。米軍艦と行動をともにする護衛艦も入るだろう。こうみると、武力攻撃事態法が周辺事態法の補完法、自衛隊を集団的自衛権容認に向けて開いていくものであることに疑問の余地はない。安倍首相が「研究する」として「柳井懇談会」に諮問した集団的自衛権行使の「個別具体的な事例」の一つがここにもある。

さらに重大な点は、武力攻撃事態法には、国民生活と密接にからむ基本的人権や財産権、地方自治に介入する条項がもうけられていることだ。「地方公共団体は(中略)武力攻撃事態対への対処に関し、必要な措置を実施する責務を有する」(第五条)、および民間企業に対するおなじ規定(第六条)がそれである。周辺事態法の場合にも類似の条文があったが(第九条)、そこでは「求めることができる」「依頼することができる」など任意規定であったものが、この法律では「責務を有する」と義務規定に変わっている。

武力攻撃事態法によれば、対策本部長(首相)は、まず「地方公共団体の長」に対し「対処措置に関する総合調整」(第一四条)を行い、応じない場合「対処措置を実施すべきことを指示」(第一五条)し、最終的に「自ら当該対処措置を実施し、または実施させることができる」(同条ことなっている。国による強権発動すなわち「代執行」である。福田官房長官は、「指示や対処措置の実施については、武力攻撃事態という状況下においては、万全の措置を担保するこうした仕組みが必要」(衆議院・武力攻撃事態対処特別委員会、二〇〇二年五月二〇日)と述べ、片山虎之助総務大臣もおなじ場で、「まず本部で十分な総合調整を本部長がやる。その上で、それに応じないという場合には指示を出し、さらにそれにも従わない場合には代執行をやる」と明言している。

自治体側は、総合調整に対し「意見を申し出ることができる」(第一四条のこが、それが否認されると抗弁の機会はない。国の要求が新規基地の提供であれ、民間空港・港湾の軍事使用であれ、さらに公立病院や施設の接収であっても、従うよりほかにない。さらに基本的人権の中心ともいえる言論表現の自由について、次の見解がなされていることにも注目しておくべきだろう。「憲法一九条の規定する思想、良心の自由、あるいは二〇条の信教の自由のうち信仰の自由の保障については、それが内心の自由という場面にとどまる限りにおいては、これは絶対的な保障であると考えられる。しかし、思想、信仰等に基づき、またはこれらに伴い外部的な行為がなされた場合には(中略)公共の福祉による制約を受けることはあり得る。

どのような権利、自由が制約を受けるか、(中略)これは将来、事態対処法制等、これから個別法制で整備していく。」(津野内閣法制局長官答弁、衆議院・武力攻撃事態対処特別委委員会、二〇〇二年五月二九日)ここでは表現の自由が「内心の自由」と「外部的な行為がなされた場合」に切り分けられ、後者は制約の対象になると答弁されている。「個別法制で整備」される条文の内容しだいでは、シュプレヒコールやスローガンの文字も規制されるかもしれない。こうみてくると、有事法制とは、「自衛隊有事法」「米軍有事法」「社会有事法」の三側面からなる憲法秩序の破壊計画であり、いずれの側面においても、憲法第九条はもとより基本的人権、地方自治の実質的停止につながりかねない内容をもっていることがわかる。

2015年5月20日水曜日

国連の可能性の限界

撤退期限の十五日が過ぎ、多国籍軍が攻撃を開始すると、ダ上フンは連日のようにイラク軍のスカッドミサイルに襲われ、私たちはいつもガスマスクを携行しながら、眠られぬままに取材に走り回ることになった。一ヵ月余のサウジ取材を終えてアメリカに帰った私は、国連本部記者室で、ブッシュ大統領の湾岸戦争勝利宣言を聞いた。ちょうどサウジに行っていた期間、国連は沈黙し、一切の活動を停止していた。停戦交渉やイラク軍の武器解体、タルト人難民問題などで国連が活動を再開したのは、多国籍軍が軍事力によって決着をつけて後のことである。武力行使容認決議から開戦、そして停戦交渉と、私は図らずも、国連の内部と現地の両方の動きを目撃することになった。

その過程で感じたのは、国連安保理という機構が持つ絶大な権力と、それとは対照的に、いざ武力衝突が起きた場合の無力さだった。安保理での折衝の大半は、決議文書の表現や言葉の選び方に費やされるが、片言隻句の違いが、現地では想像を超える影響の差になって現れる。讐えて言えば、安保理か扱う僅か一語が、数万人の生死を左右しないとも限らないのである。これは、冷戦の終焉によって初めて実効力を持った国連の大きな変化の一つと言える。その一方、安保理か何度、非難決議や声明を繰り返しても、実際に関係当事者の大国が動かなければ何の影響ももたらさない、という皮肉な場面もある。

2015年4月15日水曜日

キャリアの有する一種の抵抗力

生物をどのように考えてみても、アポトーシスとよばれている現象以外には、自分の存続を自分からやめようとする仕組みが見つからないからである。この場合の自分の存続にあたっての様式は、生物が地球上に現われて以来、長い時間をかけて作り上げてきた独自の原則に縛られている。キャリアとは、病原体をほかの宿主種の個体に伝染させる可能性のある形で、体内に病原体を保有している宿主のことをいう。病原体を保有していて伝染源になりうるという意味では、発病している患者と異なるところはない。この意味で、キャリアは病原体に対して、完全な排除反応を行なうことができない宿主と言える。ただキャリアが、その病原体に対して譲歩のような形で対応することは、キャリアの有する一種の抵抗力を示しているとも考えられる。

ここで、キャリアを免疫学の基本的概念でもある、自己・非自己の認識という観点から考えてみよう。キャリアは、非自己である病原体を排除しきれない宿主であるということになる。これをB型肝炎ウイルスに即して考えるために、成人が生後初めてB型肝炎ウイルスに感染したとする。このような場合、身体の中には、肝炎ウイルスが感染した肝臓の細胞を殺してしまう、特別なキラーTリンパ球が出現してくる。肝炎の症状が出てくるのはウイルスが増殖した結果、肝臓の細胞が破壊されるのではなくて、上述の特別なリンパ球が、ウイルスが感染した肝臓の細胞を殺すからである。このように肝臓の細胞が殺されると、中にいた未完成のウイルス粒子も破壊されてしまう。

2015年3月16日月曜日

ボートピープル

一九八九年、ツ連・東欧の激動は、世界各地の社会主義諸国に波及し、それまでは糸口もみつからないほど堅固にみえた戦後国際政治の基本的な枠組みが、今や、大きく揺さぶられている。そして、新しい時代への模索が始まろうとしている。ソ連・東欧でのこの激動の直接的なきっかけとなったのは、大量の難民流出であった。

この年の春頃から夏にかけて、東ドイツを脱出した一〇万人を越える難民が、ハンガリーのオーストリアとの国境ぞいや、プラハにあった西ドイツ大使館につめがけた。天安門事件での中国政府の弾圧を支持したホーネッカー政権に対して、民衆はもはや我慢しようとはせず、東ドイツから脱出することによって、拒否の姿勢をはっきりと表わした。まさに、国境越えの「歩きによる票決」を行なったのである(一九九〇年一〇月三日のドイツ統一前までの難民問題を扱っているので、東西ドイツにわけて説明を行なう)。

このことは、国内に踏みとどまった人々にも大きな衝撃を与えた。東ドイツ一六六七万人(一九八八年当時)のうち、これほど多くの自国民が難民として流出せざるをえないような状態しか生み出せなかった政府、そしてその政治体制に、民衆は、もはや耐え忍んではいなかった。ドレスデン、ベルリンあちらこちらの都市で、連日、何万人という人々が、デモに集まり、民主化を要求し、ついに政治改革を約束させた。

目を日本に転じてみると、この一九八九年は、日本が難民問題にかかわった歴史のうえで、際立った年であった。この年の春頃から、「難民」をこぼれんばかりに満載した小型船が、五島列島や沖縄諸島、鹿児島県徳之島や熊本県の沿岸に、相次いでたどりついた。とりわけ八月には1ヵ月間だけで、その人数は約一六〇〇人、船の数は一一隻に達した。同年一年間では、その人数は約三五〇〇人(前年比では一六倍にもなる)、船の数は二三隻にのぼった。

このように小船で海上に逃れて他国の保護を求める難民は、「ボートピープル」といわれる。サイゴン(現在のホーチミン市)陥落から1ヵ月後の、一九七五年五月、アメリカ船舶によって、南シナ海を漂流中に救助されたヴェトナム人ボートピープルが、はじめて日本の港に入った。その人数は九人であった。

その後、運よく近隣諸国にたどり着いたり、通りかかった船舶に救われたボートピープルは、一九七九年には、一ヵ月間で五万人に達するほど激増したことがあったが、それでも、そのうち日本に到達した人数は、その年一年間を通じてみても、約ニ〇〇人響まりであった。日本に到達した難民が最も多かった一九八〇年でも、その人数はニ○○人足らずであった。

2015年2月16日月曜日

新中国誕生以来の中国の歩み方

中国もいいことばかりが起きたわけではない。激しい市場競争原理はたちどころに貧富の格差を生み、また手っ取り早く勝ち組となるために、権力と金の激しい癒着が始まったのだ。権力の濫用、汚職や賄賂、それらが日常茶飯事化して仝国にあまねく蔓延し、腐敗政治を招くに至る。その風潮は、社会におけるモラルや精神文化にもたちまち浸透していき、まるで封建社会に戻ったような印象さえ受ける。その背後には、ソ連崩壊に危機感を抱いた中国共産党が党権力の強化を市場経済の中に持ち込んだ、という特殊事情もある。その結果、社会主義国中国は、官僚資本主義のような特権階級を生み、党幹部がその利益集団の中心に座るようになってしまったのだ。二〇〇八年(二一月末)は中国の改革開放三〇周年であり、二〇〇九年は新中国、すなわち中華人民共和国誕生六〇周年記念であった。

この数値からも分かるように、新中国誕生以来の中国の歩みを考えると、毛沢東が革命理論を中心として尽きることのない階級闘争を繰り返し、プロレタリアート(無産階級)の国、中国を建設しようとして推進していた計画経済時代と、それにピリオドを打って改革開放を断行した鄙小平によって推し進められてきた市場経済時代の中国は、それぞれ「三〇年」という、ちきりど同じ年月を経ているのである。逆に言えば、新中国が誕生してから、革命精神に燃えて(燃えさせられて?)古六に社会主義的な計画経済を推進していたのは、「わずか三〇年でしかなかった」ということである。私たちは、社会主義国家、中国を分析するときに、まず、そのことをしっかり頭に入れておかねばならない。

新中国が到来するまでの中国は、数千年にわたる封建主義的な専制政治が大地の底まで沁み渡った中国であり、たとえ一九一一年に孫文を中心とした辛亥革命により一時的に共和制を打ち立て中華民国が成立したものの、その後の蒋企石、国民党政権も含めて、この土壌は変かっていない。したがって、一九四九年一〇月一日から三〇年間、毛沢東がどんなにプロレタリアートの国を目指して中国共産党による社会主義国家建設に必死になったとしても、庶民の染色体に織り込まれているような封建主義的感覚は、消えていないのである。その証拠に、改革開放を唱え、「先富論」という「先に富むことができる者が先に富め」という号令が掛かってからは、一見消えていたかのように見えた封建主義的価値観は、一瞬にして息を吹き返し、銭に向かって突進する庶民の間をうねり、政府高官たちに腐敗をもたらし、現在の胡錦濤政権を困らせている。

2015年1月19日月曜日

フランチャイズ契約の問題点

配送は圏内の店ですので、倉庫の部分をできる限り切り詰めて売上を増やしています。しかも、扱う品物は通常3000品目以上ときわめて多いのです。もし、品物が切れそうになったら、直ちに工場や問屋から配送されるシステムが整っています。

したがって、配送しやすい形で店があれば、時間の短縮と配送台数節約になり、本部の経営効率化の大きな要因となります。また本部から派遣されるアドバイス(スーパーアドバイザーなどとも呼ばれる店舗指導員で、週二回程度、訪問することが多い)が訪問に便利だという面もあります。

コンビニオーナーのよくある不満の一つに、儲かっていると言って、すぐ近くにもう一店同じチェーン店を出されてしまった、というものがあります。他チェーン店ならまだしも、商品が違うということで差別化ができるかもしれませんが、同一チェーンの店ではそれもできず、立地条件や店の広さや明るさで売上が決まってしまいます。

ですから、近くに新しい同一チェーン店ができれば、経営的には厳しくなるのは明らかです。一方、本部にしてみれば、近くに店があれば配送は効率化されます。またロイヤリティーの面では、一店あたりの利益は下がっても合計の売上が上がったほうが本部への収入は高くなります。

新規出店があれば本部には加盟費が新たに入ってきます。さらに、本部の意向に従わない店については、近所に新規店を出店させるという、圧力をかけてきます。

ドミナント戦略は本部にはメリットが大きいものですが、加盟店の側にとっては死活問題であるだけに、商圏を守ってほしい、出店を制限する権利を与えてほしいという声があかっています。

フランチャイズ契約の問題点

コンビニの経営的な問題は、本部とオーナーの対立という形で表面化します。そのいくつかは訴訟にまで発展しています。判決では、当初は自己責任で契約したのだからオーナーに責任がある、という判決が多かったのですが、90年代末ごろから本部の責任を問う判決が出るようになって、流れが変わりつつあります。

たとえば、1998年8月に仙台地裁で、ミニショップ(旧ニコマート)の本部はオーナーに対して約4445万円を支払えという判決が出ています。この店は直営店をオーナーが買い取って経営を始めたものですが、直営店であればほとんどロイヤリティーを払わないですむので、利益が出ていましたが、加盟店のロイヤリティーを直営店の低い率で計算して利益が出ると、本部はオーナーに説明していたのです。判決は、契約を勧誘する時に、直営店のデータを隠し、虚偽の説明をしたことが「不法行為」にあたるとしています。