2015年2月16日月曜日

新中国誕生以来の中国の歩み方

中国もいいことばかりが起きたわけではない。激しい市場競争原理はたちどころに貧富の格差を生み、また手っ取り早く勝ち組となるために、権力と金の激しい癒着が始まったのだ。権力の濫用、汚職や賄賂、それらが日常茶飯事化して仝国にあまねく蔓延し、腐敗政治を招くに至る。その風潮は、社会におけるモラルや精神文化にもたちまち浸透していき、まるで封建社会に戻ったような印象さえ受ける。その背後には、ソ連崩壊に危機感を抱いた中国共産党が党権力の強化を市場経済の中に持ち込んだ、という特殊事情もある。その結果、社会主義国中国は、官僚資本主義のような特権階級を生み、党幹部がその利益集団の中心に座るようになってしまったのだ。二〇〇八年(二一月末)は中国の改革開放三〇周年であり、二〇〇九年は新中国、すなわち中華人民共和国誕生六〇周年記念であった。

この数値からも分かるように、新中国誕生以来の中国の歩みを考えると、毛沢東が革命理論を中心として尽きることのない階級闘争を繰り返し、プロレタリアート(無産階級)の国、中国を建設しようとして推進していた計画経済時代と、それにピリオドを打って改革開放を断行した鄙小平によって推し進められてきた市場経済時代の中国は、それぞれ「三〇年」という、ちきりど同じ年月を経ているのである。逆に言えば、新中国が誕生してから、革命精神に燃えて(燃えさせられて?)古六に社会主義的な計画経済を推進していたのは、「わずか三〇年でしかなかった」ということである。私たちは、社会主義国家、中国を分析するときに、まず、そのことをしっかり頭に入れておかねばならない。

新中国が到来するまでの中国は、数千年にわたる封建主義的な専制政治が大地の底まで沁み渡った中国であり、たとえ一九一一年に孫文を中心とした辛亥革命により一時的に共和制を打ち立て中華民国が成立したものの、その後の蒋企石、国民党政権も含めて、この土壌は変かっていない。したがって、一九四九年一〇月一日から三〇年間、毛沢東がどんなにプロレタリアートの国を目指して中国共産党による社会主義国家建設に必死になったとしても、庶民の染色体に織り込まれているような封建主義的感覚は、消えていないのである。その証拠に、改革開放を唱え、「先富論」という「先に富むことができる者が先に富め」という号令が掛かってからは、一見消えていたかのように見えた封建主義的価値観は、一瞬にして息を吹き返し、銭に向かって突進する庶民の間をうねり、政府高官たちに腐敗をもたらし、現在の胡錦濤政権を困らせている。