2015年5月20日水曜日

国連の可能性の限界

撤退期限の十五日が過ぎ、多国籍軍が攻撃を開始すると、ダ上フンは連日のようにイラク軍のスカッドミサイルに襲われ、私たちはいつもガスマスクを携行しながら、眠られぬままに取材に走り回ることになった。一ヵ月余のサウジ取材を終えてアメリカに帰った私は、国連本部記者室で、ブッシュ大統領の湾岸戦争勝利宣言を聞いた。ちょうどサウジに行っていた期間、国連は沈黙し、一切の活動を停止していた。停戦交渉やイラク軍の武器解体、タルト人難民問題などで国連が活動を再開したのは、多国籍軍が軍事力によって決着をつけて後のことである。武力行使容認決議から開戦、そして停戦交渉と、私は図らずも、国連の内部と現地の両方の動きを目撃することになった。

その過程で感じたのは、国連安保理という機構が持つ絶大な権力と、それとは対照的に、いざ武力衝突が起きた場合の無力さだった。安保理での折衝の大半は、決議文書の表現や言葉の選び方に費やされるが、片言隻句の違いが、現地では想像を超える影響の差になって現れる。讐えて言えば、安保理か扱う僅か一語が、数万人の生死を左右しないとも限らないのである。これは、冷戦の終焉によって初めて実効力を持った国連の大きな変化の一つと言える。その一方、安保理か何度、非難決議や声明を繰り返しても、実際に関係当事者の大国が動かなければ何の影響ももたらさない、という皮肉な場面もある。