2016年3月15日火曜日

陪審員の経験は法的センス向上のチャンス

多分、それはこういうことでしょう。刑事陪審だけならば、人々は「イヤだな、陪審員がまわってきちゃったよ。くだらない犯罪に付き合わされるなんて困ったものだ」と本音のところでは思い、刑事裁判が終わっても似たような感想しか持てない人が結構いるかもしれません。

それはひょっとすると、刑事弁護に携わった弁護士の無力感というか、失望感のようなものに似ているのではないかと想像します。こんなことを言うのは不謹慎ですが、刑事弁護をやりたがらない弁護士が多い理由の一つにそういうことがあります。

他方、民事裁判の陪審員がまわってきたら、やっぱり最初は「イヤだな、くだらないトラブルを起こして。ちゃんと話し合って解決してほしかったよな」と思うかもしれません。しかし、実際に双方の言い分を聞いて、どちらが正しいか、社会としてどう対応すべきか、自分が当事者の立場になったらどうなのか……。

そうしたことをあれこれと考えることが結構いい経験になり、そういう人々が大勢出てくることで、日本人の契約センスや法的センスが磨かれ、おかしな社会常識の見直しなども進むのではないかと思います。それによって、人々の社会に対する責任感といったものも育まれていくことも期待できます。二十一世紀の日本は、そういう方向で進んでいくべきではないかと思うのです。

2016年2月15日月曜日

小沢一郎の役割

ここまで与党内の権力関係についてやや詳しく触れたのは言うまでもない。細川の突然の辞任と、その後の後継者選びの過程であらわになった与党の結束の乱れは、その後の連立政権の方向を決めた、すなわち社会党とさきがけを自民党に近づけさせたという意味で極めて重要な出来事であったからである。しかし、いずれも、小沢一郎の望む方向には事態は進まない。

小沢と武村が、もともと自民党に所属しながら、細川内閣で決定的な対立関係に入ったのはなぜか。政治手法と政策面から説明される。小沢は武村が、首相を支える官房長官の役割を放棄して、勝手に自分の意見を述べていたことに強い不満を持っていた(小沢一郎「語る」)。トップダウンを好む小沢に対して、話し合い重視の武村といった政治手法の違いもあった。

政策面では、国際貢献ひとつをとってみても、小沢が国連軍への参加など、当時の日本の雰囲気からすれば異端といえるほどに積極的であったのに対して、「小さくともキラリと光る日本」を目指す武村は、そこまで積極的ではなかった。また、全く別の角度から、武村は小沢に違和感を覚えていた。すなわち、経世会の流れをくむ新生党に対する政治的な反発である(武村正義証言、「新党」全記録第三巻)。

是非は別としても、連立の時代に小沢の果たした役割は、極めて大きかった。政策が大胆で、わかりやすく、決断も行動も一貫していたからである。そのことは、細川連立政権が誕生する過程を振り返れば一層明らかとなる。もし、旧竹下派、経世会から、小沢や羽田が独立しなければ、細川連立政権の誕生もまたなかった。