2014年7月24日木曜日

積極的な金融緩和の目的

このような積極的な金融緩和は先のドル高のメカユズムの逆としてドル安を導いても不思議はなかった。金融政策では通貨供給量の抑制から金利の引下げにその方向が移り、ドル価値を維持することより、むしろ積極的にドル安を導くものに変化していった。そして、アメリカはその一環としてプラザ合意においてドル高修正のための国際協調を引き出したのである。

この合意は直接的には協調介入によってドルを安くすることもあったが、むしろアメリカの低金利政策によって方向はすでに打ち出されていた。また、ドル安を国際協調という形で行うことで、世界に是認させる政治的な演出も含まれていた。各国政府も長期的に考えればドルの信任の基礎が経常収支赤字で破局的に崩れないようにするためには、いずれ通貨調整は必要と考えていたであろう。そして、各国通貨がドルに対して不必要に安いことも各国の利益に反することであった。

プラザ合意を受けて大規模な介入が行われ、ドルは低下した。しかし、ここで重要なことは、プラザ合意によってドル安になったとみるよりも、すでに行われていたアメリカの金融政策によってドルは十分に下落できる体制に入っていた。一方、財政政策においても財政均衡法(グラムーラドッソ法)によって財政赤字の縮小が計画され(実際には行われなかったが)、また、税制改正においても投資減税の廃止などは投資の刺激効果を小さくすると予想させた。プラザ合意以降の円高・ドル安もまさに、アメリカの政策によって作られたものであったといえる。

そして、このタイミングで原油価格の急速な下落が円高・ドル安に手を貸した。これは相対的に石油価格の影響の大きな国はメリットを受げるわけであり、日本冲西ドイツの通貨が高くなるのは当然であった。原油価格の低下はわが国の大きな経常収支黒字の原因となり、円高の方向を生むことになる。これは石油危機で円安になったのとまったく逆の現象であった。

このようにして、プラザ合意以降は、湾岸戦争などの「異常事態」の時以外では、ドル安・円高傾向が定着する。先に見てきたように、ここでは日米の経常収支不均衡が大きな役割を果たす。そして、それは「前川レポート」による対応で一時的に落ち着いたかに見えた。すなわち、先の表に見られるように、経常収支黒字のGDP比は順調に低下するとともに、資本収支の中でも積極的要素の大きい長期資本収支も十分に大きな水準で推移することとなる。