2013年7月5日金曜日

政治がグローバル経済を抹殺した

第一次世界大戦の直前には、イギリスの対外投資残高は国内資本ス訃ックを上回っていた。その後、現在にいたるまで、主要国を見るかぎり、このような例はない。シカゴに染料やアスピリンを供給していた化学メーカーは、ほとんどがドイツを本拠とする多国籍企業であった。シカゴの商品取引所の先物市場は、現在とまったくおなじように、ウクライナの干ばつやブラジルの霜害のニュースに敏感に反応していた。もちろん、いまでは一ミリ秒ですか海外送金も、当時は数時間かかったし、いまと違って、あさってから一泊でブエノスアイレスに行ごうと思い立つ人もいなかった。しかし、経済の本質を見れば、一八九四年当時のシカゴは、現在のロサンゼルスとおなじくらい、グローバル化していた。いうまでもなく、ほんとうの意味でのグローバル経済を可能にしたのは現代技術であるが、グローバル化の契機となった技術は、蒸気機関と電報であったことがわかる。

これが事実だとすれば、なぜ、グロしバル市場がつい最近できたものだと思われているのだろう。それは、最初のグローバル経済を政治が抹殺したからである。一九一四年から四五年にかけての戦争と保護主義によって、それまでシカゴと世界各地を結んでいた貿易、投資の緊密なつながりや、故国の家族との絆が断ち切られてしまったのだ。ある意味では、世界はいまだに回復していない。あまり知られていないが、世界生産に対する世界貿易の比率が一九二二年の水準に回復したのは、意外にも七〇年ころのことである。さらに意外なことに、ネットの国際資本フロー(つまり、実物投資をともなわない複雑な金融取引を除いた資本フロー)の世界貯蓄に対する比率を見ると、ここ数年の「新興市場」ブームの期間ですら、第一次大戦以前にはるかに及ばない。

また、最近、アメリカへの移民が急増していると懸念の声があがっているが、自由の女神像を建てて移民を歓迎した第一次大戦以前ほどの大規模な民族移動はその後、現在にいたるまで見られない。しかし、こうした共通点とは別に、現在のロサンゼルス経済には明らかに、一〇〇年前のシカゴ、あるいは当時のどの都市とも大きく異なる点がある。それは、どのような違いなのだろうか。最大の違い(庶民の生活水準が飛躍的に向上していることは別として)は、現在のロサンゼルス経済が、いわばとらえどころがないことである。つまり、物質的な世界との接点が見えにくい経済なのだ。

たとえば、都市について考えるうえで、いちばん基本になる質問について考えてみよう。その都市がどこにあるのか、なぜその場所にあるのかという問題である。一〇〇年前のアメリカの鉄道地図を広げれば、シカゴが大都市になった理由がすぐにわかるはずだ。シカゴは鉄道がつくった都市である。中西部各地から鉄道路線が集まるとともに、東部と結ぶ幹線の起点でもあった。まさに、地中に張りめぐらした根から栄養を吸い上げ、太い幹へと送り込む役割を果たしていた。中西部の資源の集散地がシカゴでなければならない必然性はなかったが、地理的条件を見れば、ミシガン湖の南岸のどこかが集散地になるのは、かなり自然であった。歴史家、ウィリアムークロノンはシカゴを「天然の大都市」と呼んでいる。

一方、アメリカ第二の都市、ロサンゼルスは。なぜその場所にできたのだろうか。かつては石油が出たが、掘りつくされてしまった。空気がきれいで天候がよいことから、かつては映画産業に適した場所であった。しかし、現在では屋内やロケで撮影されているし、空気はスモッグで汚れている。かつては航空産業に適した場所であった。飛行機を屋外で組み立て、その場でテスト飛行をしていたからだ。しかし、最近では、組み立て作業は工場のなかで行われている。それに、ロサンゼルス空港の上空でテスト機が勝手に旋回したら、管制官がいい顔をするはずがない。ロサンゼルスの代表的な産業がなぜそこに立地しているのか(なぜそこに興ったかではなく)を考えようとすると、かならず堂々めぐりになる。映画撮影所がそこにあるのは、専門技能をもつ人がたくさんいるからだが、専門家がそこにいるのは、映画の仕事があるからだ(もっとも、産業立地を考えるうえで、こうした堂々めぐりは別に間違いではない)。





世界経済のローカル化

経済学はむずかしいと思っている人が少なくない。貿易、国際金融の話となればなおさらだ。こうした場合、だれでも、具体的なイメージを描けるような例を探すものである。そして、ふつう国際市場で成功している(または失敗している)企業に、例を求める。しかし、こうした例によって考えていくと、理解を誤ることが多い。ゼネラルーモーターズは、社内の人間がどう考えていようと、アメリカ経済を代表しているわけではない。たとえ、どの企業を調べようとも、どれほど多くの企業を調べようとも、アメリカ経済の全体像をとらえることはできない。一国の経済は、部分の寄せ集めではないのだ。アメリカ経済がどのように変化しているかを理解するには、生産者と消費者が互いに影響しあっていること、国際的な企業競争の実例を寄せ集めたところで、こうした相互作用は見えてこないことを頭に入れておく必要がある。

それにしても、国の経済は大きすぎて、ふつうの人は実感がわかない。全体像をつかむヒントになるようなものはないだろうか。少し変わった答えになるが、経済学者の間で一般的になっている方法を使ってみるのもよいだろう。アメリカ経済を理解するには、アメリカの都市を調べるのがいちばんである。そこで、以下では、時代と場所が異なる二つの都市、一〇〇年前のシカゴと現在のロサンゼルスについて見ていくことにする。この二つの都市はいずれも、半世紀の間に村から大都市へと急速に発展している。また、いずれもアメリカの大都市であり、アメリカを象徴する都市だといってよい。

それぞれの都市がもつエネルギー、ライフースタイル、さらには抱える問題までも、その時代のアメリカ社会、アメリカ経済の特徴を示している。アメリカ経済の実態と世界経済での位置づけが誤解されている場合が多いが、そうした誤解を多少なりとも解きほぐすうえで、この二つの都市を比較するのが、わたしの知るかぎり最良の方法である。一〇〇年前のシカゴと現在のロサンゼルスを頭に描いて、まず思いつくのは、対照的な特徴であろう。スノーベルトとサンベルト、内陸と太平洋沿岸という対比であり、経済に関して、この種の対比が語られることが多い。しかし、これは表面的な見方であり、現実的な経済分析ではなくキャッチーフレーズにすぎない。実態を知るには、もう少し掘り下げる必要がある。

一八九四年当時のシカゴと一九九四年のロサンゼルスをくらべてみると、意外にも共通点が多いことがわかる。いずれも急速に大都市に成長した新興都市である。わずか五〇年ほどの間に、連鎖反応ともいえるブームで村から大都市へと変貌をとげている。また、いずれも移民のまちである。現在のロサンゼルスが一部の白人にとって外国のように思えるとすれば、外国生まれの住民が半数を占めていた一九〇〇年当時のシカゴを見たら、なんと思っただろう。いうまでもなく、当時のシカゴも現在のロサンゼルスも貧富の差が激しく、人間社会の進歩を楽観することが許されないほど、社会病理を抱えている。かつてのシカゴが、アメリカ史上最悪の都市であることはたしかだ。現在のロサンゼルスでも貧困層が増え、ギャングや麻薬も珍しくないが、少なくともいまのところ、かつてのシカゴほど社会問題が深刻になってはいない。

二つの都市をくらべてみて、いちばん意外な発見は、いずれも貿易と金融を通じて世界各地と密接につながっていることだろう。グローバル経済がつい最近できたばかりだと考えるのは、現代人のうぬぼれにすぎない。たしかに、新聞や雑誌を見れば、『ボーイングとエアバスが競争し、日本の投資家がニューヨークの不動産を買い、BMWがサウスカロライナ州に工場進出し、世界の株式市場がヨーロッパからのニュースで変動している。このため、経済がかつてないほどにグローバル化七ていると思い込む。もちろん、一〇〇年前の人たちは、これほど世界が狭くなるとは思いもよらなかっただろう。しかし、当時、シカゴの精肉会社にとっては、ニュージーランドとの競争が切実な問題であった。鉄道交通の要衝であるシカゴには、各地から牛肉や小麦が運ばれ、ヨーロッパ市場に輸出されていた。これらの鉄道の建設費用は、大部分がヨーロッパの資本によってまかなわれていた。



所得格差の拡大

こうした逆転現象はあくまで例外であり、一般的な傾向にはならないのではないだろうか。かならずしも、そうとはいえない。むしろ、技術は長期的に、フソンボリックーアナリスド」の仕事の価値を低下させ、だれでももっている能力の価値を上昇させる傾向にあるとわたしは考えている。優れた専門家といえども、厳密な論理に沿って考えることは案外、苦手である。ところが、ごくふつうの人でも、スーパー・コンピューターもはるかに及ばないほど、あいまいな情報処理をこなしている。人工知能を提唱したマービンーミンスキーは、こう指摘する。「一九五六年のプログラムでは、計算問題が解けた。

六一年のプログラムでは、大学レベルの数式が解けた。七〇年代になってようやく、ロボットのプログラムがつくれるようになったが、子供が積み木を積み重ねる程度の認識能力と制御能力しかなかった。なんでもない常識だと思われていることが、じつは、高等だとされている専門知識より複雑である場合が多い」。チェスのプログラムはいまのところ、世界チャンピオンを破るほどの実力はないが、いずれは勝てるようになるだろう。しかし、顔を見分ける点で二歳の子供程度の認識能力をもつプログラムは、いまだに遠い夢である。

最近、『プレイヤー・ピアノ』を読み返してみて、ボネガットが四〇年以上も前に描いていた完全自動化工場に、現実味を感じた。しかし、いったいだれが工場を(あるいは、小説に登場する産業エリートの家を)掃除するのだろうという疑問がわいた。こうした日常的な仕事が自動化されているかどうかについて、いっさい触れられていないのは、決して偶然ではない。なんでもないと思われている仕事をこなせる機械、つまり、ふつうの人の常識を備えて、単純仕事をこなせる機械をつくれるようになるのは、ずっと先のことであると、ボネガットはわかっていたに違いない。

そこで、こう考えることもできる。将来、税理関係の弁護士の多くが、エキスパートーシステムーソフトに取って代わられることはあるかもしれない。それでも、人間でなくてはできない仕事、しかも賃金の高い仕事はまだ残っている。庭の手入れ、家の掃除など、ほんとうにむずかしい仕事は、たくさん残っているはずだ。消費財価格が着実に低下し、こうしたサービスが家計支出に占める割合はますます大きくなっていく。ここ二〇年間、優遇されてきた高度な専門能力を必要とする職業が、一九世紀はじめの機織りとおなじ道をたどることになるかもしれない。機織りも、糸紡ぎの機械化にともなって所得が急増したが、やがて、産業革命の波が自分たちの職種に及んで没落した。

したがって、現在のように所得格差が拡大し、ふつうの仕事の価値が下がる現象は、一時的なものに終わるとわたしは考えている。むしろ、長い目で見れば、形勢が逆転することになるだろう。不自然だからこそ希少価値のあった特殊な仕事は、ほとんどがコンピューターによって取って代わられるか、簡単になる。しかし、だれにでもできる仕事はまだ、機械が代わりをすることはできないだろう。つまり、いまの不平等な時代が過ぎ去り、輝かしい平等の時代が訪れることになるだろう。もちろん、さらに長い目で見れば、人間のすることを機械がすべてこなせるようになる。しかし、そのころには、この問題を考えるのも機械の仕事になっている。

熟練労働者の需要

企業幹部、弁護士、さらに野心的な学者すらも、コンピューター、ファクス、電子メールを使えば、以前よりもはるかに行動範囲を広げることができる。その結果、賃金構造は「勝ち抜き戦」の様相を強めると、ローゼンは予測している。基準がどうあれ、いちばん優れていると評価された少数の人が高額の金銭的報酬を受け取り、人並みの能力しかない人は、わずかな報酬しかもらえないというのだ。ローゼンの分析で重要な点は、技術が直接、労働者に取って代わるのではなく、技術が一部の人の力を増幅させることである。その結果、幸運な優勝者があらわれて、そこまでは幸運でなかった大勢の人に取って代わるのである。テレビは、ナイトクラブに出演する多数の名もないコメディアンに取って代わったわけではない。しかし、ジェイーリーノが取って代われる状況をつくりだした。

技術は今後も、少数の幸運な人に有利に働き、その他大勢には不利に働くのだろうか。それとも、後になってみたら、二〇世紀の最後の二五年間は、ふつうの人にとって不運な時代だったが、それは一時的な現象にすぎなかったことになるのだろうか。一見すると、技術の進歩にともなって、当然、能力の価値は高くなる一方のように思える。コンピューターなどの高度な情報システムが、アメリカ経済にとってますます重要になっている時代に、能力の価値が下がることなぞ、ありえないではないか。抜群の知的能力と才能をもつ人(ロバートーライシュ労働長官のいう「シンボリック・アナリスト」になれる人)しか、よい仕事につけないのは、当然ではないか。

しかし、歴史の教訓によれば、最近の傾向が今後も続くと考えると、往々にして判断を誤る。技術は鉄道の線路より螺旋階段に近い。のぼっていくにつれ、つぎつぎに方向が変わっていく。産業革命の長期的影響がいい例だ。ビクトリア時代の未来学者にとって、労働節約型、資本集約型という産業技術の傾向は、永遠に続くものであり、資本家と労働者階級の溝は深まるばかりだと思われた。H・G・ウェルズは『タイムーマシン』(一八九五年)で、労働者が人間以下の地位に落ちる未来世界を描いている。しかし、こうしたビクトリア時代の予測は、結局外れた。それどころか、現在のように経済指標が発表されていれば、この小説を書くはるか以前から、労働者の賃金が上昇に転じていたことにウェルズは気づいていただろう。二〇世紀に入ってからは、国民所得に占める資本所得の割合が低下し、労働所得の割合が上昇している。

さらに、技術の進歩がかならずしも、熟練労働者の需要を高めるとはかぎらない。逆に、過去には機械化がもたらした主な結果のひとつとして、さまざまな職種で特殊技能の必要が減ったことがあげられる。手織機で布を織るには、相当の技能と経験が必要だったが、動力織機の操作なら、だれでもおぼえることができた。もちろん、これまでは、技術が進歩するにつれ、ある種の能力に対する需要が一貫して高まっている。それは、学校教育で養われる能力、いわゆる勉強ができる人の方が身につけやすい能力である。二〇〇年前には、読み書きの能力を必要とする仕事は、わずかしかなかった。一〇〇年前には、現在の大学レベルの知識を必要とする仕事は、ごくわずかであった。ところが、現在では大学教育は金持ちの贅沢ではなく、実用性の高いものになっており、キャリア志向の人にとっては必須の条件になっている。

しかし、こうした傾向がいつまでも続くとはかぎらない。技術が本来、大学教育集約型になり、大学教育節約型にはならないといえる理由は、どこにもない。これはなにも将来の話ではなく、現在でも起きていることである。実際の例もあげることができる。たとえば、この小論は買ったばかりのワープロで書いているが、マニュアルを読まなくても使える。グラフィックーインターフェースのおかげで、アイコンのメニューを選択すればいいようになっているので、どうすればよいか、たいていはわかる。、わからなくなったら、ボタンを押すだけでヘルプ画面を呼び出せる。「ユーザー・フレンドリー」という言葉は、以前よりも能力を必要としない生産技術を意味している。