2013年7月5日金曜日

世界経済のローカル化

経済学はむずかしいと思っている人が少なくない。貿易、国際金融の話となればなおさらだ。こうした場合、だれでも、具体的なイメージを描けるような例を探すものである。そして、ふつう国際市場で成功している(または失敗している)企業に、例を求める。しかし、こうした例によって考えていくと、理解を誤ることが多い。ゼネラルーモーターズは、社内の人間がどう考えていようと、アメリカ経済を代表しているわけではない。たとえ、どの企業を調べようとも、どれほど多くの企業を調べようとも、アメリカ経済の全体像をとらえることはできない。一国の経済は、部分の寄せ集めではないのだ。アメリカ経済がどのように変化しているかを理解するには、生産者と消費者が互いに影響しあっていること、国際的な企業競争の実例を寄せ集めたところで、こうした相互作用は見えてこないことを頭に入れておく必要がある。

それにしても、国の経済は大きすぎて、ふつうの人は実感がわかない。全体像をつかむヒントになるようなものはないだろうか。少し変わった答えになるが、経済学者の間で一般的になっている方法を使ってみるのもよいだろう。アメリカ経済を理解するには、アメリカの都市を調べるのがいちばんである。そこで、以下では、時代と場所が異なる二つの都市、一〇〇年前のシカゴと現在のロサンゼルスについて見ていくことにする。この二つの都市はいずれも、半世紀の間に村から大都市へと急速に発展している。また、いずれもアメリカの大都市であり、アメリカを象徴する都市だといってよい。

それぞれの都市がもつエネルギー、ライフースタイル、さらには抱える問題までも、その時代のアメリカ社会、アメリカ経済の特徴を示している。アメリカ経済の実態と世界経済での位置づけが誤解されている場合が多いが、そうした誤解を多少なりとも解きほぐすうえで、この二つの都市を比較するのが、わたしの知るかぎり最良の方法である。一〇〇年前のシカゴと現在のロサンゼルスを頭に描いて、まず思いつくのは、対照的な特徴であろう。スノーベルトとサンベルト、内陸と太平洋沿岸という対比であり、経済に関して、この種の対比が語られることが多い。しかし、これは表面的な見方であり、現実的な経済分析ではなくキャッチーフレーズにすぎない。実態を知るには、もう少し掘り下げる必要がある。

一八九四年当時のシカゴと一九九四年のロサンゼルスをくらべてみると、意外にも共通点が多いことがわかる。いずれも急速に大都市に成長した新興都市である。わずか五〇年ほどの間に、連鎖反応ともいえるブームで村から大都市へと変貌をとげている。また、いずれも移民のまちである。現在のロサンゼルスが一部の白人にとって外国のように思えるとすれば、外国生まれの住民が半数を占めていた一九〇〇年当時のシカゴを見たら、なんと思っただろう。いうまでもなく、当時のシカゴも現在のロサンゼルスも貧富の差が激しく、人間社会の進歩を楽観することが許されないほど、社会病理を抱えている。かつてのシカゴが、アメリカ史上最悪の都市であることはたしかだ。現在のロサンゼルスでも貧困層が増え、ギャングや麻薬も珍しくないが、少なくともいまのところ、かつてのシカゴほど社会問題が深刻になってはいない。

二つの都市をくらべてみて、いちばん意外な発見は、いずれも貿易と金融を通じて世界各地と密接につながっていることだろう。グローバル経済がつい最近できたばかりだと考えるのは、現代人のうぬぼれにすぎない。たしかに、新聞や雑誌を見れば、『ボーイングとエアバスが競争し、日本の投資家がニューヨークの不動産を買い、BMWがサウスカロライナ州に工場進出し、世界の株式市場がヨーロッパからのニュースで変動している。このため、経済がかつてないほどにグローバル化七ていると思い込む。もちろん、一〇〇年前の人たちは、これほど世界が狭くなるとは思いもよらなかっただろう。しかし、当時、シカゴの精肉会社にとっては、ニュージーランドとの競争が切実な問題であった。鉄道交通の要衝であるシカゴには、各地から牛肉や小麦が運ばれ、ヨーロッパ市場に輸出されていた。これらの鉄道の建設費用は、大部分がヨーロッパの資本によってまかなわれていた。