2014年12月16日火曜日

転職もしやすいような世の中とは

他の社員は仕事してる人もいるのに、自分はなにをやってるんだろうって。入社した時期が一緒で、年齢がひとつ上の男性がいるんですね。一緒によく飲みに行ったりして、愚痴を聞いてもらってるんですが、その人はすごく仕事にたいして前向き。プログラムに興味があるからって、まったく知識がない状態で入社して、一から勉強したんです。実際に仕事しながら覚えたんですよ。その人を見てると、自分はなんで座ってるだけで仕事してないんだろうって、本当に申し訳ない。恥ずかしい気持ちになる。

職場にいるのが耐えられなくなると、トイレの個室に行って時間を潰してます。本を読むんですけど、辛いときに限って、戦争ものが読みたくなるんですよね。『魚雷艇学生』つていう、特攻隊として沖縄に行く話なんですけど。明日自分は死ぬかもしれない、つていう切実な話なんですが、そのギリギリの心境にすごく共感したりしてました」彼は。KYだろうか?いいや、そうではないだろう。仕事をしていない現状になにも感じていないわけでは決してなく、むしろ申し訳ない、恥ずかしいとさえ思っているのだから。都内の玩具メーカーで働く桑渾恵太さん(26歳)は他人に相談できない心情をこう語る。

「あんまり他人には相談できないですよね。社内で仕事がない状態なんだって、誰かに言ったことはほとんどないです。仲のいい大学のときの友達なんかにも言いにくい。家族には話してますが、この辛さを全然分かってくれないので寂しいですね。嫁には『座ってるだけで給料もらえるんだから、辞めるなんて言い出さないでよ』なんて言われますよ。それだけならともかく、実家の親からは『仕事は与えられるものじゃなくて自分で探すもんだろ』つて説教されました。今って昔よりは確実に転職しやすくなってますよね。仕事の実績があれば、ちゃんと転職できる。社内失業者の中には、単に仕事をサボつてる人ももちろんいると思うけど、本当はやる気がある人だってたくさんいると思うんですよね。そういう社内失業者が理解されて、転職もしやすいような世の中になればいいと思う」

身近な家族からも理解されず、孤立している桑渾さんの心労は、いかばかりだろう。食品業界で営業事務として働く五木田義雄さん(32歳)も同じように、身近な人からなかなか理解されず、気に病んでいるそうだ。「同僚にはもちろん話してませんが、家族とか友人にはしゃべってます。たまに飲んで帰ると、妻からは『今日は遅かったのね。仕事ないのに』つて言われたりしますよ。悪気はないと思うんですけど、ちょっとヘコみますよね。だから逆に、こちらもネタにして、笑い話にしてやろうかと思ってます。『会社でなにも仕事なくて、今日も暇だったよ。1日中ブログ読んでるよ』なんて話、珍しいですから、飲み会では盛り上がるんです。最初は言うのが恥ずかしいって思ってたけど、吹っ切れましたよ。

恥ずかしかろうがなんだろうが、仕事がないのには変わりないんですから。ただでさえストレスになるのに、言えないとさらにストレスがたまる。だからもう、ストレスを減らすためにも、笑い話として話をしてますね」五木田さんのように笑い話にして周囲に話せる状況であれば、まだましかもしれない。しかし、そんなふうに吹っ切れられる人ばかりではない。和田英二さん(37歳)は、部品メーカー会社で働いている。仕事がない現状を他部署の知り合いにどうしても明かせないのだという。

「仕事がないにもかかわらず、周囲からは逆に忙しい人だと思われてる状態なんです。上司はもちろん知っていますけど、まわりには言えてない。『仕事を干されてる』なんて言うのは恥ずかしいし、怖くて。他部署の人と話すときには、なるべく自分の仕事の話にならないようにして、誤魔化してます。よく話す隣の部署の男性がいるんですけど、『和田さんも忙しいんだって?うちも毎日終電でさ、大変なんだよ。お互い頑張ろう』なんて言われると、ポンドは暇なんだよ、ごめん、つて思う。自分が仕事をしていないことで、本当に忙しい人の仕事を増やしてるんじやないか、つてやりきれなくなります」

2014年11月15日土曜日

国民が怒りの矛先は・・・

裁判官も人の子ですから、のちのちの判決をする頃まで、尋問で見聞きしたことを覚えているとは限りません。人間の記憶の代わりに、すべては調書にまとめられます。裁判官は、そういう記録だけ読んでいれば、書証と矛盾しない、官僚裁判官好みの形式的には正しい判決を見事に書くことができます。

しかも、裁判官の転勤の問題は先にふれましたが、長びく訴訟ならば途中交替もあり得るので、自分が判決を書くとも限りません。判決を書く後任の裁判官が、まとめて調書を読んだ方が効率的です。そうなると、夜は少しでも遅くまで記録読みと判決書きに没頭し、その睡眠不足を法廷での昼寝で充足するなどということになるのでしょう。

もちろん、国民からすればとんでもないことであるわけですが、法廷に立ち会わない裁判官が判決を書くことなど日常茶飯事なのですから、そちらを許しておいて「法廷での昼寝」に対してだけ国民が怒りを持つのはどうでしょう? なんとなく迫力を欠いているのではないでしょうか。

国民が怒りの矛先を向けるとしたら、昼寝に対してではなく、「法廷で証人の話も聞かないで判決するのはおかしい、なんとかしろ」というのが筋であるはずです。ところが、裁判官は転勤します。この転勤のシステムによって裁判官の官僚統制システムが働いています。「裁判官の独立」という絵に描いた餅を現実に動かしている手続は、この官僚システムです。裁判官は決して独立しては存在し得ないのです。

2014年10月15日水曜日

「ユーロ」創設とは、独り勝ちを続けるドルに対するカウンター・パワーである

これを金融の面から見れば、「ユーロ」創設とは、独り勝ちを続けるドルに対するカウンター・パワーを目指す戦略的動き、ということもできる。つまり、「ドル」対「ドル支配に抵抗する勢力」の、旧帝国主義時代にも似たせめぎ合いが、アジアを舞台にくり展げられている、ともいえるのである。

ソロス氏のこのコメントは、アジアにおけるドル独り勝ちを許してはならない、と言っているのではなかろうか。ドル・ペッグ制下のタイ・バーツや香港ドルが狙われたのは、そのためではあるまいか。以上はあくまで、結果から見ての臆測ではあるが。

中国では、先にヘッジファンドによって香港への通貨投機が行われて以来、専門チームを編成してソロス氏らヘッジファンドの研究を進めている。日本でも大蔵省がようやくヘッジファンドの動向をモニターするための専門官を置くことになったが、その人数はだったの一人である。これで五千近くあるヘッジファンドの動きを監視せよというのは、まるで正気の沙汰とは思えない。これでは、ヘッジファンドが中国ではなく、日本を操る方が簡単だと考えても不思議はないだろう。

いずれにせよ、日本と香港の二つの金融市場がアジアの中では最も流動性が高いことは間違いない。ということは、ヘッジファンドの得意技である空売りに必要な株や資金の借入れ調達ができるのは、この二つの市場しかないと見てよい。

仮に、アジア市場が「ドル」対「ユーロ」のせめぎ合いの場だとすれば、ヘッジファンドの今後の展開を見極めるポイントのひとつは中国の政治、経済動向であり、もうひとつのポイントは、香港と日本が中国市場に対してどのように関与していくのかであろう。なぜなら、彼らがもっとも重視する判断材料は、狙った市場をとりまく内外の戦略情報であるからだ。

いずれにせよ、ヘッジファンドの動きに効果的な対策を講じるためには、彼らの思考や行動パターンについて、より詳しい情報を集める必要かおるといえる。手始めに、日本でもっとも知られ、ある種の伝説的人物になっているという意味で、ジョージ・ソロス氏について以下で紹介することにする。

2014年9月15日月曜日

新制度の効用

この新制度では、専門医は、患者を紹介した「掛かりつけの医師」に対して診療について説明し指示を与えるべく協力する立場にあるので、患者には基本的に重要なことを説明して、患者が理解し納得したかどうかを聞き出すのは、気心のわかっている「掛かりつけの医師」にまかせることができる。そうすれば、「掛かりつけの医師」としてもその患者の診療に深く関与できるのである。同時に患者にしてみれば、専門医と「掛かりつけの医師」の二人の医師に頼れるという安心感と信頼感が生まれるという利点がある。

新制度を現実のものとして生かしていくにはヽ医療費の面で慎重な検討をしなければならないのはいうまでもないことである。これは新制度の導入であるから、厚生省が新制度に魅力を感じて本腰を入れて検討してみようという意欲をもって前向きに動かなければ、絵に描いた餅として消えていく運命にある。

この制度を導入したら、「医療費が削減できるのか」という疑問がまず生じるであろうが、それはどのように運営するかによって違ってくるので、即断はできない。次の疑問は、「三時間待って三分診療が本当に解決できるのか」であろうが、それが第一の目的で提案しているのであることは前項の説明で十分に理解していただけると思う。

では「患者の数に対する医師の数は、新制度になったら現状より改善されるか」という疑問に対しては、一人の「掛かりつけの医師」が一家族の複数の構成員の健康管理と特殊医療以外の日常の診療をするため、効率よく診療ができ、かつ専門医が診療する患者数が現在より減少するので、医師の数と患者の数の不均衡が改善されてインフォームドーコンセントを実施するゆとりが生まれ、患者・医師の間柄が暖かい信頼関係に変わってくるに違いないと思うと答えたい。新提案の究極の目的はそこにあるのである。

この夢を実現するには、運営面での失敗は許されないわけであり、そのための新制度全体を構想するのは私個人の能力をはるかに越えており、この道のベテランに頼らざるをえない。しかし、新制度を提案した以上、粗っぽく不十分なものであっても、若干の考えを述べておくのが責任というものであろう。

2014年8月20日水曜日

米国史上初のゼロ金利

「EU加盟国は連携して金融監督に当たるはずだったが、ふたを開けるとお粗末だった」と渡辺博史・国際協力銀行CEO(元財務官)は指摘する。米国発の金融危機なのに○七年以降に金融機関が抱えた評価損の三六%は欧州勢。中・東欧やアジアの新興国で事業を積極的に拡大した欧州銀は市場での資金調達に依存し、預金に対する貸出比率が「二五と米銀(〇・九三)より高まっていた。これが市場直撃型の危機で仇となった。国境を越える金融危機にどう取り組むか。「全欧州がまとまって立ち向かう」(サルコジ仏大統領)「グローバル危機にグローバル対応を」(ブラウン英首相)とトップの掛け声は勇ましいものの、現実は心もとない。

EUで共通基金を設ける構想が検討に入る前に頓挫。ドイツが欧州全域で銀行監督を強化すべきと主張すると、隣国ポーランドが慎重姿勢を示すなど足並みはそろわな代わりに奮闘したのが中央銀行だ。「我々は米国より早く資金供給手段を多様化した」。○八年十二月の欧州中央銀行の定例の記者会見。「金融危機対応で米国より遅れる恐れがあるのでは」と聞かれたトリシエ総裁は、こう胸を張った。流動性対策は各国政府が乗り出す以前、米金融不安が欧州銀行のドル資金調達問題として欧州に飛び火した○七年夏から各国で中銀が知恵を絞ってきた。代表的なのは、市場で買い手がつかなくなった住宅ローン担保証券など高リスク証券を資金供給の担保として受け入れ、銀行に資金を調達する手法。直接金融が発達した米国は、企業が発行するCPの買い取りにまで踏み込んだ。いずれも与信リスクをとれない民間銀行に代わって中銀がリスクを引き受ける。

こうした各国中銀の資金供給の効果で、リーマン破綻後に急上昇したロンドン銀行間取引金利(LIBOR)は○八年十一月には低下。民間銀行は期間一年未満の足元の資金は余剰になった。しかし中長期の資金調達のメドがたたない民間銀行は、不安心理から企業の設備投資や住宅融資といった中長期与信は拡大できない。このため各国政府は、銀行の社債など期間三-五年の債務を政府が保証する追加支援に踏み込んだ。民間銀行を政府が国の信用で支え危機をしのぐ非常手段。最終的に支援銀行が破綻すれば、損失は納税者が被る。

すでに民間銀行から様々な証券を担保に受け入れた各国中銀のバランスシートは急膨張。民間銀行は中銀の資金供給という「アメ」にますます依存し、中銀は「最後の貸し手というより市場で唯一の貸し手に近い状態になっている」(運用会社ニュー・アセットーマネジメントのエコノミスト、サイモン・ウォード氏)。リスクを勘案して成長分野に資金を配分する民間の信用仲介機能は弱ったまま。中銀が政策金利を下げても銀行の企業や個人向け融資の回復につながらないジレンマに直面している。

時計の針は定刻の午後二時十五分を大幅に回っていた。二〇〇八年十二月十六日、FRBの連邦公開市場委員会(FOMC)二日目。ようやく届いた「事実上のゼロ金利」「量的緩和を導入」のニュースに、世界の市場関係者は「予想を上回る歴史的な超金融緩和」と驚いた。ニューヨーク株式市場では、ダウエ業株三十種平均が一時三九四ドル高まで大幅反発。日米金利の逆転を受け円相場も一時一ドル=八八円六三銭まで上昇した。○七年九月に利下げに転じてからわずか一年三ヵ月。深化する危機に背中を押される形で、米FRBの金融政策は未到の領域に入った。

2014年7月24日木曜日

積極的な金融緩和の目的

このような積極的な金融緩和は先のドル高のメカユズムの逆としてドル安を導いても不思議はなかった。金融政策では通貨供給量の抑制から金利の引下げにその方向が移り、ドル価値を維持することより、むしろ積極的にドル安を導くものに変化していった。そして、アメリカはその一環としてプラザ合意においてドル高修正のための国際協調を引き出したのである。

この合意は直接的には協調介入によってドルを安くすることもあったが、むしろアメリカの低金利政策によって方向はすでに打ち出されていた。また、ドル安を国際協調という形で行うことで、世界に是認させる政治的な演出も含まれていた。各国政府も長期的に考えればドルの信任の基礎が経常収支赤字で破局的に崩れないようにするためには、いずれ通貨調整は必要と考えていたであろう。そして、各国通貨がドルに対して不必要に安いことも各国の利益に反することであった。

プラザ合意を受けて大規模な介入が行われ、ドルは低下した。しかし、ここで重要なことは、プラザ合意によってドル安になったとみるよりも、すでに行われていたアメリカの金融政策によってドルは十分に下落できる体制に入っていた。一方、財政政策においても財政均衡法(グラムーラドッソ法)によって財政赤字の縮小が計画され(実際には行われなかったが)、また、税制改正においても投資減税の廃止などは投資の刺激効果を小さくすると予想させた。プラザ合意以降の円高・ドル安もまさに、アメリカの政策によって作られたものであったといえる。

そして、このタイミングで原油価格の急速な下落が円高・ドル安に手を貸した。これは相対的に石油価格の影響の大きな国はメリットを受げるわけであり、日本冲西ドイツの通貨が高くなるのは当然であった。原油価格の低下はわが国の大きな経常収支黒字の原因となり、円高の方向を生むことになる。これは石油危機で円安になったのとまったく逆の現象であった。

このようにして、プラザ合意以降は、湾岸戦争などの「異常事態」の時以外では、ドル安・円高傾向が定着する。先に見てきたように、ここでは日米の経常収支不均衡が大きな役割を果たす。そして、それは「前川レポート」による対応で一時的に落ち着いたかに見えた。すなわち、先の表に見られるように、経常収支黒字のGDP比は順調に低下するとともに、資本収支の中でも積極的要素の大きい長期資本収支も十分に大きな水準で推移することとなる。

2014年7月10日木曜日

非政府組織の認知

情報公開法の成立と並んで、官から民への流れを加速させたのはNPO法案の成立である。一九九八年三月、自社さ与党三党案を民主党と共同修正したうえで成立した非政府組織、非営利組織に対する支援法案(特定非営利活動促進法案、NPO法案)は、環境、福祉、災害救済、街づくりなどこ一の項目に該当する市民団体などが、都道府県の認証を得て法人格を取得することができるようにするものであった。

これまでは不適格な団体を排除するという理由から、数億円の基本財産なしに法人を設立することは不可能であった。これは、非営利組織など財政規模も小さく、弱体な団体にとり、越えがたいハードルであった。そのために多くの非営利組織は任意団体としての活動を余儀なくされてきた。その結果、銀行口座の開設や、事務所の設置など個人名で行わざるをえず、不便が絶えなかった。法案の成立でその点が改善された。

しかし、この団体は、不特定多数の利益の増進に資することが条件とされ、宗教活動、政治活動を目的とすることはできない。団体の財政基盤強化に必要とされたNPOに対する優遇税制の扱いについては、法律施行後二年以内の見直しで改めて検討されることになった。

非政府組織、非営利組織の活動に対する法的な支援に、もっとも強い関心を示してきたのは、さきがけと日本新党である。九三年六月の結党時のさきがけの基本政策には、「NGO等の活動がより円滑に、有効に展開されるように、法人格の取得や税の控除等の面での環境整備について積極的に支援を行う」とある。この法案が可決されるまで、さきがけが与党の一角を占めてきたことは、その意味で重要である。

自民党は、与党三党の結束を重視し、NPO法案に基本的には賛成した。しかし、主導権を握るさきがけや、社民党とは異なり、対象団体の活動をできるだけ行政の監督下におくこと、国の財政上の負担とならないことを条件にした。自民党には、原子力発電所建設や、大規模公共事業の反対運動を展開してきた市民運動に強いアレルギーがあった。そうした観点から、最り終的には与党案から削除された団体名簿の提出にこだわり、また大蔵省と同様に団体への税制優遇措置には難色を示している。

2014年6月25日水曜日

連立政権下の日米安保関係

第一の対立軸は外交・安全保障政策だが、対立軸を構成する要素は二つある。一つは日米安全保障条約、一つは国連協力、より具体的には国連PKO活動への日本の参加問題で、連立政権の時代のこの二つの分野の議論の流れは、以下のとおりである。

冷戦が終わり、安保条約の前提であった仮想敵ソ連は消滅した。もはや日米両国とソ連の問には、軍事的、イデオロギー的対立関係はなくなった。こうして、今後、日米安保条約の存続を、どのような根拠に求めるべきかが問われることになった。一九九六年四月、橋本、クリントン会談は日米同盟を再確認し、アジア太平洋の平和と安全を維持するために引き続き安保条約が必要なことで合意をみた。

冷戦終結後、なおも続く朝鮮半島危機は、日米安保条約の意義を高めることになった。核開発疑惑に加え、ミサイル発射、とりわけ九八年八月、日本列島を横断した北朝鮮のテポドン発射は、周辺有事の際の日米協力について議論を加速させ、九九年五月には、日米防衛協力のためのガイドラインを国内的に担保するための周辺事態法案が成立した。こうして日米協力のあり方については、単に日本が攻撃された場合に限らず、アジア太平洋地域において周辺事態が生じた場合も、自衛隊が米軍を後方支援することが決まった。

日米安保の堅持、強化の流れと並行して、中国、朝鮮半島を含むアジア太平洋の多角的安全保障の枠組みの必要性を強調する議論もあった。冷戦終結後のアジアには、二国間の安全保障の枠組みに代えて、アジア版OSCE(全欧安全保障協力機構)こそが有用という議論である。アジアの軍縮を目指して発足したARF(ASEAN地域フォーラム)が、その萌芽のように思われた。こうした多国間の枠組み重視の考え方は、駐留なき安保論や、日米安保条約は当面維持するが、朝鮮半島が統一されれば、日米安保の見直しはありうるという議論につながる。

日本のアメリカ離れという点では、以前からあった自主防衛論も顔をのぞかせた。イラク、旧ユーゴ紛争など、冷戦後の世界で明白となったアメリカの一極支配、あるいは国益を全面に押し出したアメリカ外交に対する批判の裏返しともいえる議論である。

2014年6月11日水曜日

雇用保険制度へ転換した最大の理由

一九七三年に突発的に生じた石油ショックは、日本経済に深刻な影響を与えました。雇用にも大きな影響が及び始め、完全失業率は二%を超えました。このような時代状況を背景に、雇用政策の一大転換が行われました。失業してからの対策だけでなく。失業の予防を重視する政策への転換です。

本来、雇用の維持・安定は第一次的には個別企業の自助努力によるものです。雇用創出にむけた環境整備、金融や財政、税制上の措置は国の産業政策として打ち出されます。従来、雇用政策は産業政策や経済政策の後追い的政策とみられてきました。深刻な経済情勢を理由に、雇用対策の抜本的な拡充を求める声が、産業界や労働界で強まってきました。そこで失業保険から雇用保険への大転換が行われたのです。

雇用保険制度へ転換した最大の理由は、失業予防を雇用政策で行おうとするものでした。そのため、雇用保険の雇用安定事業として雇用調整助成金制度が創設されました。不況で労働者を休業させたり、職業訓練を受けさせた場合。その従業員の賃金の一部を助成金として支払うものです。

創設以来、多くの企業で利用され、失業予防に一定の役割を果たしたという評価があります。一方、この助成金があるため、マクロ的には日本経済の構造転換が遅れるとともに、個別企業の体質強化、新事業への進出意欲などを阻害した、という批判も近年聞かれるようになりました。

バブル崩壊後の経済不況のため、完全失業率は、一九九〇年代後半には四%を超えるようになりました。日本の雇用政策は一九七〇年代半ばに大転換が行われ、その骨格を動かさないままでした。高失業率時代に対応した、新たな雇用政策が求められています。

2014年5月23日金曜日

イギリスでの闘い

人間社会の研究において右に述べたような自然科学の方法を、忠実に再現しようとした研究法が、他ならぬ社会科学における実験的方法である。ここでその実例を述べるには、スタンフォード大学での私の経験に帰るのが一番よいように思う。読者も記憶しておられるように、私がスタンフォードで最初に接したのは、「イギリスの闘い」と呼ばれた宣伝映画の実験であった。

あの実験におけるもっとも重要な問題は、新しく入隊した兵士の戦争に関する知識と態度、特に戦争に積極的に参加しようとする彼らの戦意であった。そして実験は宣伝映画がこれらの知識や態度を、変化できるかという形で組み立てられていたのであった。そこでこの実験においては、新兵の戦争に関する態度が従属変数となる。この従属変数に関して「原因」となるべき「独立変数」は、言うまでもなく「イギリスの闘い」と名づけられた宣伝映画そのものであった。

このようにして結果を示す「従属変数」と、「原因」を表わす「独立変数」とを確定すれば、例の因果法則に関する最初の二つの条件を満たすことは比較的容易であろう。すなわちまず、新兵のグループの態度を調査しておいて、それから宣伝映画を見せる。そしてその後しばらくしてから、彼らの態度の変化を測定すればよいわけである。こうすれば倒フィルムという独立変数が、態度の変化という従属変数に先行するという条件を、満足させることができる。それとともに希望する方向に態度の変化が生じれば、フィルムを見せたから、態度の変化が生じたという、独立変数と従属変数の「共変」を確定することができる。

しかしながら問題は、従属、独立の二変数を除いた第三の変数群が、新兵の態度の変化という従属変数に、影響を与えていないという保証を、どうやって得るかということである。これらの第三の変数群として考えられるのは、これらの新兵たちの教育水準、出身地、政党支持というような政治的態度、職業、知能、さらには年齢の違いなどであろう。アメリカの場合には当然白人か黒人などの人種の問題も考慮に入れなければならない。さらに兵士でない一般人であったなら、男女の別も考慮しなければなるまい。

さらにこの実験における被験者たちは兵営で訓練を受けていた新兵であった。そこで当然、兵営における環境、訓練の効果も問題になったろう。相手がドイツ、イタリア、日本であることも問題にしなければならない。従って兵営の外部で生じた大きな出来事も考慮に入れなければならなかったろう。たとえばドイツの潜水艦が、アメリカの商船を撃沈したとか、大きな戦闘の勝敗も当然、新兵の戦争に対する態度に、大きな変化を与えたはずである。それでは従属変数に影響を与える可能性のある、これらの種々の要因を、実験的方法はどのような手段を使って、統制するのだろうか。

2014年5月3日土曜日

巨額な経常収支不均衡をファイナンスする

ユーロ市場は表にみるように急速な拡大を続けている。市場規模を総資産残高でみると、七三年末の約三二四〇億ドルに対し、八〇年末には一・三兆ドル、九〇年末には五・九兆ドル、九三年九月末には六・四兆ドルに達している。七三年からみれば、二〇年間でちょうど二〇倍の規模に膨張したわけである。

ユーロ市場が急成長をみている背景には、主要地域間において巨大で、かつ持続的な経常収支不均衡が存在していることが大きい。図は主要地域の経常収支不均衡を米国の名目GDPに対する比率で示したものである。これによると、七〇年代における不均衡は主に産油国と非産油国の間におけるものであったことがわかる。また、これは七三年秋から七四年にかけての第一次石油危機と、七八年のイラン革命を契機とする第二次石油危機が主たる原因となったことは明白である。

七三年から八一年の期間をとると、経常収支の累積額は産油国が四二〇〇億ドルもの巨額の黒字となった一方、非産油途上国は約四〇〇〇億ドルもの赤字を計上した。当時とすれば空前の不均衡であっだのにいうまでもないが、この二地域間における大幅な経常収支不均衡は、産油国がユーロ市場に余剰資金の過半を放出し、それをユーロ銀行が非産油途上国に貸し出すことによってファイナンスされた。

八〇年代に入ると、主要地域間の経常収支不均衡は大きく性格を変えることになった。二度に及んだ石油危機が一巡し、産油国の経常収支黒字が急減するなかで、八二年夏のメキシコを契機とした累積債務危機は、非産油途上国へのユーロ市場経由の資金フローを途絶させた。そして、この資金フローの停止は、非産油途上国での激しい景気後退を通じて、経常収支不均衡を強制的に是正させた。

だが、八〇年代に入ると、レーガン革命とでもいうべき米国の経済再生策を反映して、先進国間、とくに米・日・独間での経常収支不均衡が未曾有のスケールとなった。八一年から九三年の期間をとると、経常収支の累積額は米国では約一・一兆ドルの赤字であるのに対し、日本約〇・八兆ドル、ドイツ〇・二兆ドルの黒字を記録している。八〇年代の主要国間における経常収支不均衡は、七〇年代とは比較にならないほどに巨額なものとなったのである。当然、この巨額な経常収支不均衡をファイナンスするため、ユーロ市場は一段と膨張することになった。

2014年4月17日木曜日

大阪の異様なパワーを再び

沖縄県民を不可逆的にその気にさせた時点で、民主党の戦略は成功したといえる。小沢にとって鳩山が「駒」だとしたら、鳩山政権が短命に終わってもかまわない。次の選挙で民主党が負けても、その次に出てきそうな政党の多くが「地方分権」「アジア重視」を掲げているのなら、敗北すらかまわないことになる。もし今後の選挙で民主党が大敗し、自民党政権が復活したとしても、沖縄での基地反対の機運がこれだけ高まると、誰が政権をとっても普天間基地の問題を県内移転で解決することは不可能だ。むしろ、沖縄にいる在日米軍にグアムか米本土に撤退してもらった方が、民意にそった解決となる。

地方分権策の先駆地としては、沖縄よりも、大阪などの関西の方が適している。関西は、首都圏に次ぐ大都市圏で、江戸時代まで日本の中心だったという誇りと、独自の文化が、人々の中に存在する。関西は1970年代以降、多くの企業が大阪から東京に本社機能を移転した結果、経済的、人材的に危機に陥っており、人々の中に潜在的な危機感がある。大阪府下の自治体は、大赤字で財政破綻寸前のところが多く、それが橋下府知事らの危機感の原点になっているが、大阪の財政難の原因は、多くの企業とその社員が東京に移り、税収が減ったのに、以前と同じ財政支出を続けたためだ。その点、大阪の役人や人々(有権者)は、危機感が足りない。「どうせ東京にはかなわない」というあきらめが過半かもしれない。

(私は東京出身で、仙台の大学を出て、90年代前半に大阪で記者勤務をしたが、当時の大阪、特に本町以南の雰囲気が、東京や東北の街と非常に違って風変わりなことに驚いた。大阪人は商売も巧みで、東京の大銀行が「なにわ金融道」に引っかかり、何百億円も不良債権を抱えていた。だが先日、久しぶりに大阪ミナミの商店街を歩いたところ、東京の真似が多い仙台と似通った雰囲気の、小じやれた街になったのを感じ、大阪はすっかり「地方都市」になったと思った。大阪の異様な独自パワーは消えつつある)

だが、歴史的背景から考えて、関西人は扇動されれば「自分たちこそ上方」「東京をしのぐ街になる」という気概を持つだろう。東京が対米従属にからめ取られている間に、アジアから独自の経済誘致ができれば、舛添の言うとおり、大阪は香港的な発展ができる。大阪は従来からアジア指向だったが、これまでの地方自治の枠組みでは、スローガン以上のことはほとんどできなかった。日本が明確な地方分権策をとれば、この限界を打破できる。大阪が、地方都市に成り下がるのがいやなら、国策の革命を起こすしかない。そして、橋下や小沢や舛添は、大阪人・関西人を扇動し、革命にいざなおうとしている。

沖縄は、この革命の先駆地であるが、沖縄は地理的・歴史的に日本の辺境なので、沖縄の革命は本土に伝播しにくい。東国原の宮崎県も、指導者的には革命拠点になりうるが、地理的にめだたない場所にあり、宮崎で革命が起きても、東日本の人はピンと来にくい。その点、大阪は影響力がある。東京のテレビに出ている関西人の芸人たちが「大阪の独立を支持するで」「地方主権や」と言い出せば、大騒ぎになる。今後の地方選挙で、橋下新党が大阪府下や関西一円の地方議会の多数派になっていけば、地方からの民主的な革命(体制転換)になりうる。関西の動きに呼応し、各地で地方分権の要求が起こり、東京政府の中央集権的な官僚制度が「旧体制」として打倒の対象になる。こうした地方からの革命(政権転覆の反乱)が起きれば、それは明治維新以来のものだ。

大阪都構想について - 大阪維新の会

橋下市長の大阪都構想を、きちんと考えてみる